ニューヨークの地下鉄は、左派の桃源郷となりました。まさにリベラルが理想とした完全な自由社会の縮図。規範を抑圧と呼び、秩序を差別と呼んだ先にあるダイバーシティーのディストピア。その結果、法も倫理もそれぞれ個人の主観に置き換えられ、善悪は人それぞれの感じ方に委ねられた。
今や街は、狂気と怠惰と犯罪が共存21世紀のゴッサムシティ。個性、自由、多様性、その全てが爆発した世界。
マスクをつけた女の子が犬のように首輪をつけて車内を散歩、犬と口づけを交わし、蛇を抱き、バナナの衣装で新聞を読み、ネズミが車内を徘徊し、走行中に電車のドアが開く仕様まである。
誰も驚かず、誰も止めない。
それが左派が理想郷とする、寛容と呼ばれてきた時代の果てです。彼らが言う多様性とは、責任なき自由の別名です。
この街の悲劇は、自由を守るために秩序を壊したこと。だが秩序のない自由は、もはや自由ではなく、無政府です。
公共の場をサーカスに変えても誰も注意できない社会、それは寛容ではなく、恐怖による沈黙。
秩序を語る者は差別主義者、レイシストと叩かれ、真実を指摘する者は極右とレッテルを貼られる。
まさにリベラリズムが生み出したディストピア。
アメリカが失ったのは道徳の中心。
日本はまだ、それを和として持っている。
どうか日本よ、アメリカの後を追うな。自由は叫んで得るものではない。静かに守り続ける心こそが、文明を支える礎なのだから。
マムダニ氏がどうしてニューヨーク市長に当選したのか、
これを見れば一目瞭然。