俺は大学を1年足らずで中退し、19歳で社会にでてサラリーマンを始めた。
電気通信系の工事会社。週6勤務。朝から晩までがむしゃらに働いた。
そこで働き始めてすぐに思った
「ここでこれを続けるべきなのか」
このまま雇われ人生で終わりたくない。
「いつか自分で何かをしたい」
そんな想いを抱きながら、約10年勤めた。
26歳の時に結婚。翌年には長男が生まれ、新築一戸建て、新車もローンで購入した。
順風満帆に思えた生活は長男が生後半年を迎えたころに大きく変わった。
1歳になっても自分で座ることも、ハイハイすることも、言葉も発することもなかった。
そう、息子に原因不明の障がいがあることがわかったのだ。
どうしていいかわからなかった。目の前が急に暗くなった。
なんで、どうして、この子なんだって。
そこからは毎週のように原因を調べる検査、機能発達の為にリハビリと病院通い。
もちろん妻に任せきりにはできない。当時はチームで働く現場仕事だったので周りに負担をかけてしまうことが増えた。
このままじゃだめだ。何とかしないと。
「個人で仕事をすれば自由に身動きとれるはずだ」
そう確信した瞬間どうしても行動せずにはいられなかった。
前向きな理由ではなかったが
「いつか自分でなにかしたい」
という思いの後押しになった。
すぐに妻を説得し、大事にしていたクルマも売却。起業の為に資金を作った。
何にも計画せずに勢いだけで始めた俺を見る目は正直冷ややかだった。
上手くいくわけないと思われていただろう。
実際1年半は本当に苦しかった。銀行から引き出すお金が無くなるくらいまで追い込まれた。
本当にこれでやっていけるのか?不安で眠れない日々が続いた。でも自分に言い聞かせた。
「何のためにやってるんだ」
「家族の未来を明るくするためにやってるんじゃないのかよ」
「覚悟決めたんだろ。やり切れよ」
コネも経験もなかった俺はとにかく地道に周囲に声をかけ続けた誰でもいいから、仕事をさせて欲しかった。
それでも仕事は受注できず。本気で諦めかけた。でもやめなかった。
やめたら息子に胸を張れなくなると思った。
「父ちゃんは挑戦したけど、結局逃げた」
将来息子が自分の言葉を伝えられるようになった時に、そう思われるかもしれないのが一番嫌だった。
こんなことばかり毎日考えていたら、知り合いのクルマ屋さんが声をかけてくれた。「退職者が出たからつなぎの間だけ作業お願いしたい」
正直ビビった。出張作業なんてほぼ経験ない。でもこのチャンスを逃したら終わる。
自分にできることは精いっぱいやった。無理を言われても答え続けた。雨の日でも、雪の日でも、やってくれと言われれば駆け付けた。
この時を転機に一気に事業が進み始め、3年目には法人化を果たし、9年経った今では年間1500台を超えるまでに成長させていただけた。
いま思い返せば、自分は本当に周りに恵まれているということ。諦めずに行動し続ければ結果はついてくるということ。
そして何よりも自分の原動力は「守りたい存在」だった。と改めて確信できる。
障がい児を持つ親は大変だ、当事者の自分には本当によくわかる。
俺は近い将来、格家庭の事情合わせて雇用形態を決めたり柔軟な対応ができたりと、障がい児を育てる親に頼られる会社を創る。
それを実現した時には、僕と同じような境遇の方々に、力を貸してもらいたい。