AIにいくら私の写真を読み込ませても、生成されるのは両手両足のある姿。AIでさえ「四肢のない人間」は想定外なんですよね。でも最近のAIは優秀なので、まもなく四肢のない人間も生成してくれるようになるかもしれませんよね。
では、現実社会ではどうでしょうか。私のような四肢欠損どころか、多くの場合は車椅子ユーザーの存在さえ想定されていないのが現状です。だから、私たちはいつも「想定外」の存在として扱われ、街中ではバリアに直面することになります。
このままAIにも抜き去られ、私たちはいつまでも現実社会において“想定されない存在”として生き続けなければいけないのでしょうか。
「私たちは、ここにいる」
これからも存在を主張していきます。せめて、これから新たに制度や建物がつくられる際には、「こういう人たちもいるよな」と想定してもらうために。